四十九日
ずっとブログに書くかどうか迷っていましたが、ようやく書ける心境になりました。今日はごくプライベートなブログで恐縮です。
敬老の日。毎年お菓子や毛布を送り続けていた相手がいなくなりました。
今夏8月2日、祖母が亡くなりました。脳梗塞で寝たきりになり要介護5判定を受け、
半年の介護生活を経て90歳の天寿を全うしました。
小学校教諭をしていた母に代わり、私を育ててくれた「母」のような存在でした。
大正に生まれ、戦争で夫を亡くし、空襲で家を焼かれ、娘を育てるために手持ちのモノを食糧に代えてもらうために往復10キロの農家に通い、伊勢湾台風では堤防決壊の直前に屋根に上がって親子とも命をとりとめ、九死に一生を得て苦労してきた女性でした。
戦死した夫に代わり、定年まで職業婦人を貫き、祖母の社会人として凛と生きる姿に
私は幼いころから一人の人間として尊敬し、人生のメンターのように様々な相談をしてきました。
人間は、あまりに存在が大きく深く愛している人の死をなかなか受け入れられないものですね。火葬場で灰塊となった無残な祖母の姿を見たにもかかわらず、この1か月、祖母の死は受け止められずにいました。またそこの柱の影から顔を出してくるような気がして。ペタペタといつものようにスリッパを鳴らして歩いてくるような気がして。
でも、入院時に使っていたタオルを洗濯するとき、
私の息子に作ってくれた上履き袋や給食袋を洗濯するとき、
時々声をあげて泣きます。
すみません…なんだか身内のことでセンチメンタルなブログになっていますが、
私がこの住まいブログでお話したかったことは、
そんな愛する祖母が残してくれたものが「祖母の部屋」だったということです。
名古屋の実家にあるのですが、築40年経ち、天井はシミがついて一部はがれおち、窓も傾いてスムーズに空きませんが、それでも「ここの部屋だけは壊さずに残してほしい」とリフォームしようとしていた親に懇願しました。
祖母が読んでいた本、いつもかけていた老眼鏡、膝掛けのかかった小さなイス、私や息子が送った絵葉書や写真の貼られた壁…
その空間すべてが「祖母の形見」だからです。
長期優良住宅法ができ、私も執筆や講演をさせていただいていますが、環境や省資源以上にこうした「想い」の継承、大切な人が生きた証をとどめる「家」というのは、政治も経済も頼れない今後の日本人の何よりも心の支えになっていくのはでないでしょうか。
少し感傷的&こじつけっぽくなりましたが、祖母の部屋を目にするたび、家のありがたさを思う今日この頃です。
シルバーウィーク…我が家は祖母の遺言である和歌山・高野山納骨堂へ、最後のお別れに行きます。



四十九日でしたか・・・。
亡くなった事実をすべて実の目で見ているのに
現実感が沸かないというお気持ち、よく分かります…。
私も明日が父の三七日です・・・。
おばあさまのお部屋を残してあげたい、
それは、おばあさまの為でもあり
そして、自分達の為でもあるのでしょうね・・・。
私もシルバーウィークにまた実家に行くつもりですが
事務所にかけてある父のジャンパーや服が
そのままなので、今にも着て出かけて行きそうなのだと
母が言っていました。
いつかその場所も、新しい生活の為に
変えていく時が来るかもしれませんが
それまでは、父の空気を残しておいてあげるのも
残された人にとって、必要なことかな…と思っています。
悲しみは、きっと時間にしか癒せないんですよね…。
ただ、きっと、私達が幸せに暮らすことが
亡くなった方の一番の願いだと思います。
『生』の大切さを
身をもって教えてくれたことに感謝し、
お互いに元気に毎日を過ごしていけますように…^^。
投稿: ゆう@まいにちせいぶつがく | 2009年9月17日 (木) 14時35分
ゆう@まいにちせいぶつがく様
はじめまして。温かいコメントありがとうございました。
そうですね。いつまでも故人を偲んでシクシクしているのでなく
元気に幸せになることが、ゆうさんのお父様、そして私の祖母への供養になると思います。
ありがとうございました。
投稿: 河名 | 2009年9月17日 (木) 20時43分